2019年11月23日、朝5時47分…
母からこんなメールが来た…
以前(約3年前)から、我が家の父は、うつ気味状態で、発言や言動など全てがマイナスなことばかり…。
と言う状態だったので、今回も僕は、そんなに重く受け止めてはなかったのです。
が、今回は、実家に帰って、ちょっと僕自身もビックリするくらいの状態でした(笑)
認知症ってこう言う事なんだな…
認知症って、こんなに急に来る?発症する?もんなんだな。
っていうのが、正直な感想とともに、遂に来るときが来たかな…
と言う感じです。
意外と冷静な僕がいます。
とりあえず、週に一回行っている、デイサービスのケアマネージャーさんには、連絡して、出先だったようで、折返し待ち。
父が、うつ病から認知症発症までの経緯を綴ってみたいと思います。
認知症ってこんなに急に来るの?父の部屋が大荒れ
これ、76歳になる、父が一人でやったんだって…。
※インスタストーリーにあげちゃったんで、文字が入っててすみません(笑)
実家に帰ってきて、この状況を見た時に、
『あ。今までとは違う…』
と、思ったのと同時に、いつもなら、僕が実家に帰ってくると、何かしら、声をかけてくる父だが、
ずっと、何かを探してみたり、何かを拾っては集めて、僕の存在なんか見えていない感じ。
明らかに、今までと違う…
と感じました。
そして、母が朝5時過ぎに、僕にメールをしてきてから、ずっと付き添っていたみたいなんだけど、どうやら、途中、抜け出したみたいで、警察の方がパトカーに乗せて、連れてきてくれたみたい…。
こんな短時間に、そんな色んな事があったんだな…
と思ったのと、認知症って、こんなに急に来るものなのか!!
と言う驚きが隠せませんでした。
認知症かも?と言う状態になるまでの経緯
父は、かなり前から、緑内障(目が見えなくなる病気)を持っていて、母からも、病院へ行きなさいと言われ続けていたのに、『もう治らんで』と、病院に行くことすらなかったのだとか。
そして、いざ、本格的に目が見えなくなってきた時(約3年前)に、
『目が見えん…目が見えん』
と、口癖のように言うようになりました。
そして、ある日、その目が見えなくなった事を理由に、唯一の趣味だった、『畑』を、やめてしまったのです。
その『畑』を辞めてしまってから、ちょっとずつおかしくなって行ったように思います。
突然、頭がおかしくなったと、近所の人に助けを求める
畑を辞めてしまった後、どれくらいの月日が経っていたかは解りませんが、僕と姉、甥っ子たち、母が、母の親戚の結婚式に呼ばれて行ったときのこと。
母の携帯がなり、向かえに住む方からの電話。
『旦那さんが、頭がおかしくなった。救急車を呼んでほしいと来た。』
と言う内容の電話でした。
僕たちは、急いで帰りました。
そこには、うつろな目をした、父がいました。
近所の方が、色々話を聞いていてくれたらしく、それでもだいぶ落ち着いたよってことでした。
これが、約3年前くらいの話ですね。
帰宅したのは、夜だったのですが、この状況の父は、病院に行かないと気が済まない状態。
僕は、翌日、仕事があったので、姉が、緊急病院に連れて行きましたが、当然、ここで見ることは出来ないというか、専門医がいない状況なので、そのまま帰ってきたそうです。
その後直ぐに、精神科医の手続き
介護関係の施設のことや、手続きの事も全然わからなかったので、僕は、その日のうちに、介護職を経営している、友人に電話して、色々聞きました。
役所に行って手続きをするとか、診断しなくちゃいけないとか、ケアマネージャーと言う言葉も知らなかった(笑)
いつか来るだろうとは、思っていたけど、人間、その状況になってみないと動かないものですね…(苦笑)
そして、翌日から確か、動いたような記憶があります。
地元の精神科医を探して、予約を取り、診断をしたり、デイサービスに通えるように、手続きを進めたり…
とりあえず、人づてや聞いた話をさっさとやって、あっという間に、デイサービスを受けれる状態までは、行ったように記憶していますね。
この頃は認知症ではなくうつ気味状態の段階
このブログを書いている、今日の事を思えば、この当時の状態って、まだ精神的なものからくる、うつ状態だったんだなって思います。
当時、僕は、たまたま平日休みだったので、一年位は、精神科に毎週通いましたね。
そして、精神安定剤をもらって、先生に話を聞いてもらって、その精神安定剤を貰えることが、父の最大の安心感を生んでいたように思います。
僕の仕事状況も変わり、平日に精神科医にいけなくなる状況になり、中々、病院にも連れてって上げられなくなりました。
が、デイサービスの更新を続けるために、診断書がいるということを、施設から言われて、再び精神科医に3ヶ月位通いました。
この時は、もう、父も割と元気に見え、発言はマイナスなことしか言わなかったけど、特に気にしていませんでした。
あれから、1年半くらいか…
来年の6月に、また、デイサービスの更新手続きがあるから、また病院に連れてってくれということを、父からは聞いていたんですが…
この時に、すぐ予約して、行っておけばよかったかなぁって、今思いますね(苦笑)
認知症の初期症状と比較してみた
ここからは、今日の話ね!
なってしまったものは、仕方ない。
と思うタイプの僕なので、とりあえず、認知症の初期症状と、父の今日起きた出来事を比較してみました。
完全に一致しているのが、2つ
そして、それっぽいなぁと思うこともいくつか…
まず、完全に一致していること。
- 鍵や財布を無くす。
- 場所の見当識障害
上記は、今日の時点で起きたことです。
財布と鍵がなくなった
僕が実家に帰ってきて、父が崩壊させた棚などの整理をしている時、『財布がなくなった』、『鍵がなくなった』と言っていました。
そして、その崩れた棚などがある場所だけでなく、明らかに、無いような場所を、ずっと探しているのです。
結果的に、その崩れたゴミ山状態の場所から出てきましたけどね(笑)
しばらくは、あったよ!と言っても、まだ何かを探している様な状態でした。
場所の見当識障害
今日、パトカーに乗せられて、連れて帰ってこられた状態の話を、父がし始めたときのこと。
父『何であんな所にいたんだろうな…○○(地域名)だと思ったんだけどな。』
この○○の地域名は、歩いて行ったら、軽く3時間以上かかる様な場所です。
実際にいた場所は、自宅から徒歩15分程度の場所で、通報されています。
それっぽいなぁと思うこと
認知症の人は、昔の事の記憶ほど覚えている。
という事は、聞いたことがあります。
うつ気味状態の時から、やたらと、昔話をする傾向にはありました。
そして、最近の事というのは、忘れる。
この状態が、既に認知症を発症仕掛けている状態だったのかも知れませんよね。
僕自身が気づかなかっただけで…。
認知症の症状発見のきっかけ例
発見のキッカケ例というのがあったのですが、これを見ると、確かにあったなぁって思うこと。
うつ気味だった状態の時に、父が当てはまるものが、赤字にしています。
もの忘れ
- 同じ話を繰り返す
- 約束をすっぽかす
- ゴミの回収日を守らなくなる
- 同じものを不必要に何度も買ってくる
- 鍵や財布をなくす
- 料理の味付けがおかしくなる
理解力・判断速度の低下
- 買い物の支払計算が難しくなり、小銭があっても常にお札で払う
- 周囲の会話速度についていけず理解が難しくなる
- 走ることができないのに、信号が赤になりそうなときに渡ろうとする
集中力・作業能力の低下
- 読書好きの人が本を読まなくなる
- テレビドラマの筋が追えなくなり、見なくなる
- 趣味の手芸や工作、料理などの家事を途中で放棄してしまう
精神的混乱や落ち込み
- 楽しみだった活動をやめてしまう
- 人付き合いを避けるようになり、やる気がなくなる
- 怒りっぽくなる
https://kaigo.homes.co.jp/manual/dementia/symptom/
以前から、赤文字の部分に関してはありましたが、緑内障を理由にしていたため、僕自身もそうであろうと言う、認識しかなかった。
ちょっと甘かったな(笑)
いつかは来るかも!って事
僕には、約3年間の猶予はあったってことですよね。
なので、まぁいつかは来るだろうと、薄々は感じていたことだけど、遂に来たか!!
と言う感じです。
先程、電話してあった、ケアマネさんからも連絡をいただき、今後の流れのアドバイスも頂きました。
僕が、何よりも心配なのは、父よりも、母ですね(笑)
認知症の進行が進んだ時に、何の悪びれもなく、母に危害を加える可能性があるということ。
これが、一番怖いね!
明日から、僕も精神科などの手配が終わるまでは、実家に寝泊まりしようと思います。
今まで散々、自由に生きさせてもらってきたので、こう言う時くらい、家族のために出来ることをしていかなくてはね!!
って、思っています。
Instagramや、Twitterなど、沢山の励ましの言葉を頂きました。
ありがとうございます(*^^*)
僕は、結構、今の時点では、楽観的な状態。
まだ、認知症という未知の世界を体験前なので、僕自身もどうなることやらって感じだけどね(笑)
という事で、今回の記事はここまで!
何か進展があったら、またブログにも記録を残すかも!
コメント