年が明けて、数日が立ちましたが…
年末に急遽、同級生と会うことになった。
その同級生にも言われた事でもあり、ちょっと最近、何故か同年代で複数人が僕に人生相談をしてくる方々がいるんだが…
僕は周りから、変人に見えているんだろうと思う!!
大正解!!
相談をしてくれたのは、16歳から家庭を持ち働き続けた同級生
同級生(以下A君としよう。)とは、15、6年ぶりに再開。
まずは、彼との出会い、そして再会する経緯について、説明させて欲しい。
A君は、小学生の時にブラジルからやって来た転校生!!
お母さんは日本人、お父さんがブラジル人と言うブラジル生まれのA君。
僕たちが、5年生くらいの時に、日本へやってきた。
僕のクラス転向してきて、日本語は全く話せないのだが…僕のクラスには、別の子でブラジルと日本のハーフの男の子がいて、彼が少しポルトガル語を話せるからと言う理由もあり、同じクラスになったのだ。
そして、当時、学級委員を務めていたこともあり、案内人的な?お世話係的な人に抜擢されてしまった。
しかし、言葉が通じない…。
とか、そんな難しいことは考えた覚えはなく、僕は、『はーい\(^o^)/』と言う、軽いノリでありその役割を引き受けた♪
毎日、授業間の放課の15分程度を一緒に過ごした覚えはある。
A君も僕に、懐いてくれていたと思う…(妄想?w)
と言うか、僕についてくるしか、選択肢がなかっただけかwww
言葉が通じない?ってのは、全く気にせず、日本語で僕は全てを話していたwww
※彼にとっては、とっても迷惑であっただろう…。
そして、部活も一緒で、ブラジルと行ったらサッカー!!
的な勝手な日本人の考えで、無理くりサッカー部に入部させた?様な…
そんな彼は、日本語の覚えも早く、あっという間にほとんどの日本語を理解するようになった。
中学になってからも、同じ学校では会ったものの、思春期というか、中学になると急に友人関係も変わってくる傾向にある男子。
A君とは、クラスも3年間違ったし、ほとんど喋ることもなかった。
ちょっとやんちゃなメンバーと絡んでいるイメージもあったし、部活も違う。
そんな、感じで中学は同じだけど既にその時からある意味疎遠。
その後、彼は直ぐに働き、僕は高校、大学と進学。
しかし、何故か20歳くらいの時に、免許の更新で地元の施設で再開。
※この時点で7年ぶりくらいか?
母や姉からも、デパート?スーパー?で、A君に会ったよ!!
と、地元ならではで、我が家の家族とは顔を合わせたりもしていたようだ。
そして、SNS時代に入り、何がキッカケだったかも分からんが、Facebookやインスタで、いつの間にかお互いフォローしている程度の仲だった。
30代後半になり彼には人生に疑問が生じる?
と、お互い別々の道を進んでいる中、2年前位かな?
インスタのDMで彼から、メッセージがあり、ラインを教え合い、2時間ほど久しぶりに話した。
当時、既に家庭をもっており、トラブル真っ只中、大変な思いをしている中、僕に突然連絡してきた理由は以下のようなものだった。
- 『あなたは何しておるんや?』
- 『どんな生活をしているんだ?』
- 『小学生の時から、君は変なオーラがあった』
- 『何か人と違う物を持っていた。。。』
と…笑
更に、
つまり…変な人に見えていたということだwww
いやいや…、僕が変人なことに変わりはないのだが、
A君にとっては人生に疑問を持ったタイミングだった。
ということが言えるだろう。
そりゃそうだ…世間一般の男性なら、仕事をガツガツしているだろう昼間にインスタには
- 毎日のようにカフェで珈琲を飲んでいたり…
- 週に何回も昼間からジム
自由な時間を楽しんでいるように見えていたんだろうなって…。
どうしてそんな生活しているんだ?と…www
さぁ、僕が伝えたいことやっと本題に入れる!!笑
僕の人生のルーツは小さい時に見えていた大人の世界がある!
A君が子供の頃に僕に見えていた、何かがあるように、僕にも見えていた大人の世界がある。
当時の視野は今考えれば決して、広い視野ではなかったけどね。
僕には、自宅から30秒で家族ぐるみのご家族がいる。
そして、そこの長女・長男・次男と言う3兄弟と、我が家の姉と僕と言う5人は、本当の兄弟の様にいつも一緒にいたし、お互いの家でご飯を食べ合ったりと。
更に、そのご家庭の長男である子とは、同級生であるだけでなく誕生日まで一緒。
と言う、奇跡的な状況の中、双子のように育てられた。
意識しなくとも、勝手にライバル意識を燃やしていたと思う。
さて、そんな話はどうでもいい。
ここで、僕の今の価値観に大きく影響を与えているのは、この両家族の父親である。
- 毎日朝5時から仕事へ行って夜中の1時に帰ってくる『我が家の父親』
- 平日の昼間に遊びに行っても昼間から家に居て遊んでくれる『友達の父親』
小さい子どもながらに、僕は自分の父親を否定しているわけではないが、友達の父に憧れて育っている。
自分の背中を見せて、生き方を教えてくれたのは自分の父親
『我が家』の父は、大人になったら、
- 『疲れる』
- 『お金がない』
状況になるということを教えてくれた。
これは、我が家の父は、僕たち家族を守るために嫌でも、一生懸命働いてくれた立派な功績である。
そこは、勿論理解しているし、僕は小さいときから父が大好きだったし、今でも心底尊敬している。
そこを読者の方にも理解してもらった上で、書き記したい。
小学生の頃から、僕は日曜になると、お父さんに遊んでほしかった!!
- あそこに連れてって、釣りに連れてって!
- あれが欲しい!コレが欲しい!!
- あれ買って!これ買って!!
子供ならではのわがまま三昧言っていたと思うのだが…
そんな時に父が言葉にしていたことって、僕には以下の2つしかないのだ。
- 『お父さんは疲れてる』
- 『お父さんはお金がない』
いつも、この言葉がだいたい帰ってきていた。
逆に、友人の父は真逆の生活をしていた。
幼馴染の父は大人になった時の楽しみ方の破片を見せてくれた
幼馴染とは、家族のように育てられたとは言っても、その父親とは四六時中一緒にいるわけではないし、流石に毎日家にいるわけでもない。
しかし、小さい僕からしたら、父を見ているからお父さんっていうのは、日曜にしかいないもの。
平日はお仕事をしているのが当たり前。
と思っていたり、料理はしない。と思っていたり。
友人の父は、ある意味小さい僕の価値観を壊してくれていた。
平日の昼間に、僕たちと遊んだり、遊びに連れて行ってくれたり。
釣りに行ってきて、釣れたら我が家の家族も呼んでくれて魚をさばいてくれたり。
僕は子供の時になりたい大人になるための『選択』をしているだけ
両極端な大人が、小さい時に僕は近くに居たから、2つの選択肢だったらどちらを選びたいか?
と言う部分が、今も根強く人生の生き方に影響している。
茨の道と解っていても、キラキラ・ワクワクするのはどちらか?
と言う部分で、選択するようにしている。
実際に、僕は大学まで進学させてもらったが、就職してしまったら、父のような人生になると思っていた。
- 決まった時間に出勤し、夜遅くまで働く。
- 当然疲れる。
- そして、自分に使えるお金はない。
そんな人生嫌だ。
と、僕は中学生の時に、自由に楽しく好きな事で暮らしている人って、どんな人だろう?
って、世界観がまだまだ小さい中で、見えていたのがアーティストだった。
だから、バンドを組んだり、高校進学、大学進学も拒んだ。
しかし、親のスネをかじらないとまだ生きていけない年でもあったから親のいいなりになって、無理に進学した部分もある。
家族とも険悪だったし、姉貴ともこうした事が原因で数年話さなかった時期もある。
それでも自分の人生。
自分で決めなきゃ!!
親に言われてとか、世間一般の大多数がとか、同調行動的な人生は、自分の人生じゃないんだ。
もっと、こうしたい。
あーしたい!!
こういう事したい!!
っていうのを、お金の問題や状況の問題、経験の問題にしずに、やれることからやってみる!!
これが、僕なりの生き方であり、考え方でもあるのかもしれない。
今回相談してくれた、同級生のこともしかり、以前バイトしていた後輩くん、そして、今はママとなり僕が一時好きになった女性wwwが、最近、立て続けに人生相談してくれる。
まずはやってみたらいい!!
お金の問題やクオリティーの問題は、後から修正すればいいんだ!!
って、僕は思う。
みんな最初から、自分ができない理由を探しすぎるのだ。
出来ない理由を探しまくって、自分が出来ないことを正当化しようとしているように僕には見える。
最初は、出来ないことが当たり前。
まず、下手くそでも何にも出来なくても、やってみる!!
自分がワクワクして楽しいことだけをもとめて!!
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